独占大スクープ ~拉致被害者と北の真実~ | セレブログ

独占大スクープ ~拉致被害者と北の真実~

われわれ取材陣は今回、北による拉致被害の現状を知るために一人の拉致被害者と接触することに成功した。その被害者の名前はT山S史(仮名)さん。(以下敬称は省略)大阪府池田市在住で、府内の某国立大学に通う大学生だ。

これから先は彼の証言から得られたことから、拉致被害の様子を詳細にわたって書き記したものである。どうか心して読んでいただきたい。


2005年某日、T山は大学のサークルの友人3人と自宅付近のファミリーレストランで夕食をとっていた。8時半過ぎに店を出て、オートバイに乗った友人3人たちの後を徒歩で追いかけていたときにT山は被害にあった。

T山は歩道に止めてあった不審なスポーツカーの男に声をかけられた。

「ちょっと、助手席側に回ってくれ。」

その話に従ってT山が助手席の方へ回りこんだ瞬間、助手席のドアが開き、助手席と後部座席に乗っていた2人の男の手によって車の中へ押し込められたという。その当時の様子をT山はこう語る。

「一瞬の間の出来事でした。状況がよく分からないまま車に押し込められて、次の瞬間にはもう車が発進していました。」

その後、スポーツカーの男3人組は近くの100円ショップの人気のない駐車場に車を止め、なにやら行き先を決めているようだった。とT山は語る。この時、T山は自分が拉致された事に気づき、所属するサークルの掲示板に助けを求める書き込みをしていた。

「お前はどこに行きたい。」

と、運転席の男に訪ねられたT山は神戸に行きたいと答え、運転席の男は車のエンジンをかけ、人気を避けるように車を発進させた。


T山は車内で男たちから、

「ドラム缶がいいか、樽がいいか。」

などと意味不明な質問をされていたと語る。そのころから、T山は自分の安否を気遣ってくれる人からの連絡を待ち続けていたという。業を煮やしたT山は薄暗い車内の中からわずかに見えた道路標識から得た情報を元に、自分の居場所を知らせるメールを1時間前まで一緒に食事をしていた友人に送った。

「今、門戸厄神。」

数分後、そのメールに返信が来た。

「どこいってんの?」

そこでT山はこう返信した。

「たぶん北。」

しかし、無常にもそのメールに対して送られてきた返事には、

「意味分からん。」

と書かれていた。それ以来、T山との連絡は途絶えた。


運転手の男が助手席の男に西宮港でいいか。とたずねると、助手席の男はそれに賛同した。そして運転席の男はT山にこう言った。

「お前なんか、神戸に連れてく必要はない。西宮で十分だ。」

T山にはその発言の意味が理解できなかった。しかし、車が交差点で止まっているときにT山は驚きの光景を目の当たりにした。なんと、自転車しか通ってはいけないはずの歩道橋から1台のオートバイが猛スピードで下りてきて走り去ったのだ。オートバイに乗っていたのはやはり北の工作員であったと思われ、T山に北の恐怖が迫っていることを予感させた。


そして、その予感は的中する。


それまで西宮であったはずの景色が一変、殺風景な景色に変わり、あたりから人の気配が無くなった。その道路にはいくつもの車が道路に放置され、交差点には信号機も設置されておらず、そこは文明社会のかけらは見当たらなかった。ついに北に連れてこられた。とT山は実感した。それ以上に、すでに北が陸路で日本へと侵入することが可能であったことにT山は驚きを隠せなかった。

道路には通行止めにされているところも多く、奥にはなにやら土木作業を行っていたような様子が見受けられ、そこが例の38度線であることは否めなかった。しばらく車は迷走を続け、車の左にひとつの工場が見えた。そこには「日本開発」と書かれた建物が建っていた。ここで何人の拉致被害者が働いているのだろう。そう思うと、T山は自分の未来を考え戦慄が走った。ここまででT山の北での記憶はなくなっている。


そして、T山は気づけば西宮のヨットハーバーにいたという。そのヨットハーバーにはこれから北に送られようとしているであろうカップルが、のんきに夜景を楽しんでいた。その周りには北の工作員と思われる人間が何人もいて、未来の拉致被害者たちを見つめていた。そして、驚くべきことにその工作員のなかには子供の姿も見受けられた。

そのヨットハーバーには小さく、「堀江さんお帰りなさい。」という横断幕が掲げられていた。この人も北の拉致から日本に帰ってきたのだろうか。しかし、このような人がいたことは公にはされていない。このような被害者が日本中に何人いるのだろうか。T山はすぐにでも堀江さんとともに被害者の会を結成するしかないと確信したという。


そして、そのヨットハーバーに偶然にも来ていたわれわれ取材陣の手によってT山は保護され事なきを得たのだった。